名古屋市中村区の風景(2017年5月中旬)

 

の下

 

サークルK(ファミリーマート)岩塚本通1丁目店の駐輪所

 

地下鉄岩塚駅の自転車置き場

   

  

 

ささしまライブのそば(名鉄本線高架ガードの東側)

 

  

 

 

このようにして回収された自転車は防犯登録や車体番号を基に、所有者に返却されるのではなく、

大半は、防犯登録の照会の及ばない海外に、そのまま中古品バイヤーを介したり、スクラップとして

格安で輸出されます。

防犯登録は、帰る家が無い貧困者などを犯罪者に陥れる職務質問の罠としてのみ使われます。

(日本が格安で中古自転車を輸出するからくりは、こんな感じです。)

 

盗難自転車の多くは、最終的には、放置自転車になっている可能性が濃いですから、

放置自転車が盗難自転車かどうかも照会せずに、即座に廃棄している公共的団体も、

結果として、窃盗の証拠隠滅に協力している共犯ということになります。

 

中川コロナワールドにあった放置自転車の住所の例

・名古屋市中川区助光2丁目市営助光荘

・名古屋市中川区伏屋4丁目市営中伏屋荘

 

おまけ

 

 

 

 

愛知県警は、また1台、新しくヘリコプターを買ってもらうそうですね。

ヘリコプターで、何を探すのですか?

それより、アダルトショップやツタヤなどが顧客情報を警察に流すのは何とかなりませんか?

 

 

道路は誰のためにあるのでしょうか?

Q.道路は車のためにあるのですか?

A.いいえ、違います。道路も車のためではなく、人のためにあるのです。

  人を殺してまで、物流を円滑化する必要はありません。

 

貧困者の生活コスト上昇:自転車置き場の有償化、保険義務化など

「金が無い者は、生活する権利も無し」。

事故防止のためには中央分離帯を閉鎖など、

一般道の実質、高速道路化:「トヨタの顧客以外に利便性は必要無し」。

車道での自動車の横暴(「事故」の拡大解釈で犯罪免責、危険運転の取締り軽微化など)

「車道を自転車が時速5km〜10kmで蛇行して走るなど危険」、

「自転車の安全のために、自動車の都合ではなく自転車の都合に犠牲を強いるような

自転車の走行の利便性を無視したような道路設計」など自己愛性人格障害/サイコパスの金持ち、

自動車運転者の自分勝手な要求。

→ 車道の人命に直結するほどの重大な危険を回避して、自転車が歩道などに進入。

→ 玉突き式に、歩道も危険化。

 

 

資格に値する能力があっても、資格を悪用する者に資格を預けるわけにはいきません。

資格を悪用した前科がある者からは、再犯が不可能なように、職業選択の自由を制限すべきです。

「生活に必要だから」とか「資格を利用しなければ稼げない」という言い訳は、

免罪の理由とすべきではありません。

資格を持たなくとも生活できる方法を探させるべきです。

資格がなくともできる仕事に転職すべきです。

 

「免許」とは、「一定水準に達している」ということを保証するものです。

「必要だから、金銭で購入できるようにせよ」とか「生活に必要だから、不正に寛大な処分を」とは、

何と、傲慢で身勝手な言い草でしょうか?

そんな生活の都合で「免許」が支給されるのなら、それは「免許」などと呼ぶべき物ではありません。

単なる「利権」です。

 

そのために政府の政治目標も、

憲法25条、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」となっているのです。

資格や資産がなければ、憲法に示される生活水準に届かないのでは、政治目標は達成されていません。

 

貧乏だと、生活に於いて移動手段は徒歩か自転車が多くなりやすいです。

(公共交通機関は割高過ぎる上に使い勝手が悪過ぎるので論外、ほとんど役所の自己満足

自動車は、運転免許取得だけでも、安価な非正規(Working-poor)の給与2ヶ月分程度の費用がかかり、

さらに自動車の法定整備費用(車検)も2年ごとに給与1ヶ月分程度の費用がかかるので、

到底、全国民に開かれた権利とは言いがたい。)

憲法25条など福祉的な観点から見ても、自転車の権利は、自動車よりも重視されるべきだと思います。

自動車のように特定の資産家のみが手にする権力である危険な凶器に対してばかり寛容で、

自転車のように割合、多くの国民に対して開かれた道具に対して不寛容な社会は、不公正です。

徒歩では荷物を運べる量も少なく、通勤時間も多くかかるので、

自転車は「貧民の生活必需品」なのではないでしょうか?

自転車が有料駐輪所しかない場所では、面積効率と福祉的な役割を勘案すれば

自転車の駐輪料金は時間当たり、最高でも、自動車の1/20以下に設定すべきでしょう。

自転車を道路の邪魔者のように見做して狭い道路で無理な追い越しやすれ違い、

狭い車間で自転車側が危険を感じるような追い越しやすれ違いをしようとする自動車を多く見かけます。

自転車は自動車とは違い、元来、不安定な乗り物ですから、自動車相手なら安全に追い越したり

すれ違える車間であっても、自転車にとっては安全な車間ではありません。

また、事故が起きても、怪我をすることが稀な自動車側にとっては、99%安全な運転でも、

事故に遭えば命の危険がある自転車側にとっては、死の危険が1%もの確率である運転は、

十ニ分に無謀運転であり、憤怒するに値する運転です。

近年、煽り運転(危険運転)が厳罰化されました。

さて、煽り運転(危険運転)に関して、技術的な話をしましょう。

「自動車に対する自転車の急制動(急ブレーキ)」という概念は、技術的には存在しません。

自動車は四輪車です。自転車は二輪車です。

技術的には、二輪車を四輪車よりも、急制動させることは、極めて難しいです。

つまり、自動車側が、「自転車が急制動したから追突した」ということは、技術的には、ほぼ有り得ません。

自動車側が、「自転車が急制動したから追突した」と主張した場合は、

それは、自動車側の前方不注意と車間距離違反(≒自動車側の煽り運転)です。

危険な運転をする運転手は、運転不適格です。運転免許を剥奪し再取得を禁止すべきです。

無免許で運転した者は、罰金刑ではなく、長期の懲役刑で、強制的に運転する機会を奪うべきです。

自動車のように1トン近くもある鉄の塊を運転するのに、「前方不注意」は、未必の故意による殺人です。

賠償計算時の過失割合の計算でも、単純に歩行者の過失割合を10%増やす程度の簡易的な措置では、

免許の必要性を反映しているとは思えません。

免許の必要な車両に対しては、免許係数として、過失割合に10倍程度は、乗じるべきだと思います。

さらに、自動車の危険性に関する係数として、重量比と平均的速度比と車幅比の積程度を、

乗じるべきだと思います。

事故は、多くの過失が掛け合わされて、規模が増大するのですから、

過失割合の積算は、個々の過失割合の和算ではなく、積算にすべきだと思います。

重い車は、同じような事故でも被害の規模が拡大します。

車体が頑丈に作られていれば、少しくらいの事故でも推進機関が故障しませんから、

自動列車停止装置(Automatic Train Stop)のように、事故を起こしても停止しません。

つまり、重い自動車の関わる重大事故の頻発は、

「旅の恥はかき捨て」とばかり、

資格を「責任の伴わない権利」という身分と誤解している自己愛性人格障害/サイコパスな運転手や

多重制動装置(Fail Safe)など機械の危険度の増加に見合った

被害者への安全装置に関する冗長性を充実させる社会的責任感(Corporate Social Responsibility)の無い、

買い手の都合だけを優先し、危険な機械の社会に及ぼす害悪を軽減する意思のない

Product Liabilityを軽視した守銭奴製造者の一側面を示しています。

また、被害者が障害者となるよりも、被害者が死亡したほうが、賠償が安上がりでは、

事故になれば、死亡事故になるような未必の故意運転を誘発しますから、

被害者が死亡した場合の慰謝料は、現在よりも、はるかに高額に100倍程度は値上げして

設定する必要があるでしょう。

運転手が罪を逃れようと、いい加減な供述をすることは分かっていますから、

はっきりとしたブレーキ痕(準無過失の証明(semi-Devil's Proof))が無かったり

(事故が致命傷の恐れが大きく、その場で救護すれば助かる可能性があるにも拘らず、

自らの保身ばかりを考えて立ち去る身勝手な)轢き逃げしたりすれば、

事故ではなく犯罪として、殺人(未遂)罪や傷害罪で処罰すべきです。

同じ「車」でも、危険性の大きな大型車ほど、運転不適格者の排除を厳しく行なう必要があります。

危険な大型車が、粗暴な運転をしたときの脅威は計り知れません。

同じ交通違反でも、危険な大型車は、減点点数を大きくして、

より厳しく運転不適格者から免許を取り上げる(あるいは制限再強化する)べきです。

また、速度制限には意味があります。

高速道路は、誰しも、自動車が高速で走ってくることを予見できますが、

住宅地では、自動車が高速で走ってくるとは予見しません。

ですから、速度超過の罰則は、超過速度そのものではなく、超過割合で決定すべきだと思います。

制限速度30km/hの住宅地を40km/hで走行した懲罰は、

制限速度100km/hの高速道路を133km/hで走行した懲罰と等しくすべきです。

大型車両は危険なのですし、現状として死亡事故も多いのですから、原動機付き自転車ではなく

悲惨な事故の元凶となっている大型車両の法定制限速度こそ

(高速道路も含めて)30km/hに制限すべきです。

大型車両に対してこそ、時速30km/h以上の速度を出せない設計を要求すべきではないでしょうか?

自動車を使っても、事故は事故、犯罪は犯罪です。

その危険さゆえに厳しい免許取得試験を課した免許の必要な自動車の運転に於いて、

故意に事故を誘発するような運転の結果として起きる「(業務上)事故」は、

事故ではなく、実質的には(未必の故意)犯罪です。

自動車に関する人身事故の過失は、人命に関わる業務上過失≒犯罪であるにも拘らず、

ほとんどが罰金刑と充実した(殺人)保険で、刑事上、民事上の責任が犯罪の抑止力として機能していません。

自動車と同列に語るべきは、包丁レベルではなく銃レベルです。

包丁は免許が不要な凶器ですが、銃は免許が必要な凶器だからです。

自動車を使った犯罪は、銃を使った犯罪に匹敵します。

少々、怒った程度で粗暴な運転をした人間からは、運転免許を剥奪すべきです。

自動車を犯罪の拠点や道具として悪用した人間からは、運転免許を剥奪すべきです。

自動車専用道で無くとも、狭い道路でも、舗装していなくとも、雪道であっても、

風が吹いていても、冠水していても、障害物があっても、道に迷っても、

安全に運転できる人だけが、運転免許を持つべきです。

「自動車専用道で無いから事故した」「狭い道路だから事故した」

「舗装していないから事故した」「雪道だから事故した」「風が吹いていたから事故した」

「冠水していたから事故した」「障害物があったから事故した」「道に迷ったから事故した」は、

運転手の自分勝手な言い逃れです。(自己愛性人格障害/サイコパス)

日本全国のすべての道路を幼稚園児が自動車を運転しても安全なように整備できるほどの予算はありません。

そのような言い逃れを認めていたのでは、免許は免許の意味を持ちません。

往来妨害罪の量刑は不当に重過ぎるのではないでしょうか?

駐停車違反も往路妨害罪の一種です。

当然、駐停車違反の量刑と往路妨害罪の量刑は比較できるべきです。

駐停車が禁止されているのには理由があります。

狭い場所で駐停車違反をしておいて、

「車に擦って傷を付けられたから賠償しろ」では、

あまりにも、自動車側が身勝手です。

他者を傷付ける可能性が高い自動車が違法な運転をすれば、

多少の自動車の傷程度は自己責任であるべきです。

もしも、往路妨害の結果として事故が起きたのなら、

事故と強い相当因果関係にある過失には、前方不注意の過失もあるはずです。

自動車側が道路交通法を守っていれば、軽微でも歩行者や自転車に道路交通法違反の過失があれば、

歩行者や自転車を傷付けても許されるのでしょうか?

許されません。

道路交通法の存在目的は、他者を傷付けずに、交通を円滑化することです。

当然、見通しがよく、歩行者や自転車を傷付けることが明白で、

追突や追い越し、すれ違いざまなど、歩行者や自転車側が事故を回避することが困難な場合に、

歩行者や自転車などを傷付けた場合、道路交通法上の違反が前方不注意のみであっても、

この行為は事実上の殺人/殺人未遂ですから、過失割合は、ほぼ100%、罰則も死刑であるべきです。

互いに事故を避けることが困難だった場合にのみ、「仕方なく」、道路交通法などが仲裁をするだけであって、

事故を避けることが容易な場合にまで、「自動車側の過失が前方不注意だけだから、罰則は軽い」と

交通弱者に厳し過ぎる道路交通法の欠陥を突いて、

杓子定規に危険運転をすることまでは認められるべきではありません。

道路交通法や道路整備様式自体を、もっと人権保護、交通弱者に優しく改正すべきです。

自動車の危険な運転行為に比べて、前方不注意の量刑や過失割合は軽過ぎます。

(砺波市 自転車の70代男性 市道で車にはねられ死亡

 https://www3.nhk.or.jp/lnews/toyama/20210911/3060008471.html

この「事故」で注目すべき点は、自動車の前方で、かつ、見通しのよい道路で「事故」が起きた点だ。

すなわち、この「事故」は、過失(前方不注意)ではない。

この「事故」は、事故ではなく、故意による(業務上)殺人である。

また、被害者は頭を強く打つなどしており、

被害者の死亡と「事故」には十分な相当因果関係がある。

加害者である女子大生は未成年(19歳)だが、

運転免許の所持を認められ、かつ、免許を行使していたのだから、責任も死刑を回避できない。

よって、この女子大生に対する量刑は死刑以外に考えられない。)

権利を主張するときにだけ、「精神病でも運転免許をよこせ」。

で、責任になると、「精神病だから、責任なし」。

(但し、精神病に基づく運転免許剥奪に対する代償措置は必要だ。)

権利だけの無責任、責任だけの無権利などありません。

運転免許を認められて、行使していれば、精神病など関係ありません。全責任があります。

「精神病悪化」で、交通事故の責任を免責されたいのなら、まず、先に精神病悪化で運転免許を放棄すべきです。

当然、運転も禁止です。

「結果として」、刑事責任を負えないような人間が資格を所持して行使している、

などということはあってはなりません。

(ひき逃げで21歳男性死なせた疑い 37歳女を逮捕 基準値の5倍超えるアルコール検出

https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_12189.html

「やっべ」酒気帯び運転でパトカーから逃走 衝突事故で女子大生死亡…被害者の父「一生刑務所に」【福井発】

https://www.fnn.jp/articles/-/240531

走行中に、過失があったかどうかは、議論する必要はない。

アルコールを摂取して運転をした時点で、重大な過失であり、危険運転罪は成立する。

本来ならば、(業務上)殺人罪として死刑。

なぜ、自動車に乗れば、殺人罪が免責されるのに、一般の殺人罪が処罰されねばならないのか?

(業務上)殺人罪(資格行使に伴う殺人)の量刑が、殺人罪の量刑よりも軽いのならば、

何のために自動車の資格制度が存在するのか?

(業務上)殺人罪の量刑を死刑以外にするのなら、自動車の運転免許制度を廃止せよ。

(業務上)殺人罪の量刑を死刑以外にするのなら、

(無差別通り魔)殺人罪の量刑の上限を懲役7年程度

(危険運転致死傷罪の量刑が15年程度だから)まで引き下げるか、

(無差別通り魔)殺人罪の処罰そのものを廃止せよ。

(資格行使者無謬神話)

走り屋89キロ超で暴走、避けようがない男性死亡

弁護側「極端な高速度ではないし、極めて危険ではない」

https://www.saitama-np.co.jp/news/2021/12/15/03_.html

自動車は免許の必要な危険な道具だ。

「被告人が、過去に速度超過で2度の免許取消処分を受けた」ということは

被告人には、危険な道具を扱うに値する遵法意識がないことを示している。

このような資格不適格者が、免許取り消し処分を経て、

再度、免許を取得できたことが、今回の惨事に繋がったのだと思う。

自動車の運転免許の剥奪制度を拡充すべきだ。

免許の取得制度を如何に精密にしても、事故防止の費用対効果は改善しない。

免許の取得制度を複雑にすれば、免許付与学校の利権が拡大するだけだ。

免許付与制度に於いても、精神科問題や教員不祥事問題と同様に

「人(教員)が人(国民)の未来を予測する」こと、「人(教員)が人(国民)を裁く」ことなどできない。

しかし、既に起きた事件は、その人物の問題点を示している。

免許付与の厳格化ではなく、免許の剥奪制度によって、資格不適格者を、資格から排除すべきだ。)

無免許運転の刑罰が軽くては、免許剥奪の意味がありません。

無免許運転の刑罰も殺人未遂同様に無期懲役に引き上げるべきです。

また、自動車は免許の必要な危険物ですから、その管理にも責任が伴います。

管理の杜撰な自動車が無免許運転に使用された場合、管理者にも管理責任を求めるべきです。

 

(原則としては、個人情報は保護されるべきである。

しかし、事件の際には個人情報が一部、報道される。

事件の際に個人情報が報道される理由は、公共の利益の目的である。

「公共の利益」とは、同様な事件を再発させないために警戒すべき事柄を国民に周知する目的である。

だから、事件に明確な犯罪被害者と犯罪加害者が存在する場合には、

「警戒すべき対象」は、犯罪被害者よりは犯罪加害者である。

よって、犯罪に関する個人情報の報道は、犯罪加害者に関する報道を詳しく、

犯罪被害者に関する報道は控えめにすべきである。

また、犯罪が免許の行使に伴う「業務上」犯罪の場合、

少年法による個人情報保護や精神障害による精神科免責は適用すべきではない。

免許の付与は、その免許の行使に伴う高度な責任能力を行政が認めて付与されることが前提であるため、

免許の行使に伴う犯罪を、少年法や精神障害による免責対象とすれば、免許制度の存在理由に反するからだ。

(論理の正順としては、本来、少年や精神障害者など責任能力が無い者に免許を交付してはならない。

 代わりに、国家は、基本的人権に基づいて、

免許を保有しなくとも、免許を保有する人に遜色が無い人生を送れる

保証があるように社会設計をしなければならない。

しかし、現実の日本社会は、

免許を保有していない人に対して、免許を保有する人に遜色がない人生を保証していない。

つまり、日本社会では、免許は、ある程度、権利に見合った責任を伴わない、

権利ばかりが強い利権として運用されている。

だから、多くの人が免許を欲しがる。

だから、本来、免許を交付してはならないはずの少年や精神障害者に対しても、生活のためにも、

ある程度の免許の保有を容認せざるを得ない妥協が必要になる。

でも、少年や精神障害者の免許の保有容認は、あくまでも妥協だから、

免許制度の原則である「免許が責任を保証する」ために、

代償として、免許の行使の際には、

少年や精神障害者といえども免許に見合った責任を要求せざるを得ない。

人(免許交付者)が、完全に人を裁く(免許交付希望者の免許適性を見抜く)ことはできない。

免許の交付に伴う適性審査は、ある程度、雑である、完全ではない。

だから、免許交付後でも、免許保有者が重大な法令違反を犯すなど

免許適性に十分な疑義を持つような行動を取った場合には、

免許適性審査が誤りであったと判断して、免許を剥奪すべきである。

しかし、特に免許保有者の重大な法令違反が、免許交付直後であった場合には、

「免許交付適性審査にも重大な不備があった」と受け取って、

免許交付者の過失としても扱うべきだろう。

免許交付者の免許適性審査能力が、免許の交付コスト(適性審査コスト)に見合わなければ、、

免許の交付審査は、簡略化すべきである。

つまり、免許交付審査が、免許保有者の重大な法令違反の多発を抑制できなければ、

免許の交付審査には意味が無かった、と判断せざるを得ない。))

 

産経新聞2022/11/5 06:00

歩行者信号、青で渡ったらダメ 自転車悪質走行に「赤切符」 思わぬ落とし穴も

https://www.sankei.com/article/20221105-VAH2QKIPKJO6RL2LPWG2HA3NXI/photo/ICWQ3LNSCZI5JNGI3FC6STRWNI

自転車は、車両用の信号ではなく、歩行者用の信号で横断させるべきだ。

自転車の破壊力は、自動車よりは歩行者に近い。

自転車が歩行者と混在して走行する行為も全く危険ではない、とまでは言わないが、

自転車が自動車と混在して走行する際の危険性に比べれば無視できる水準だ。

だから、原則としては、自転車は自動車と混在ではなく、歩行者と自転車が混在して走行するように

推奨すべきだ。

また、自転車が関わる重大事故の統計の取り方は異常でもある。

つまり、取り締るべきは、加害者としての危険性であり、被害者としての危険性は取り締る必要は無い。

被害者の場合は、誰にも他人には迷惑をかけていないからだ。

電動キックボードを厳しく取り締るべきでない理由も同様だ。

つまり、電動キックボードが関わる事故では、被害者としての危険性は高いが、加害者としての危険性は低いからだ。

自動車のシートベルト着用義務に関する取締りの議論も同様だ。

「悪」の定義は、人が死亡することではない。

独裁政権である日本政府では「悪」の定義とは、奴隷(国民)の命令不服従である。

だから、独裁政権である日本政府から見れば、奴隷(国民)の損耗すらも悪に見えるのだろう。

独裁政権である日本政府は、奴隷(国民)の肉体も命も、独裁者からの貸与物と見做すからだ。

だから、独裁政権である日本政府の下では、奴隷(国民)には危険を冒す自由もなく、命を自らの意思決定に従って利用する権利も許されない。

だから、独裁政権では、自損事故でも自殺でも「悪」と見做して厳しく取り締る。

だから、独裁政権では、加害者としての危険性も被害者としての危険性も、区別しない。

なぜなら、独裁政権が法令違反を取り締る理由は奴隷(国民)の人権保護ではなく、

命令に従わない奴隷(国民)を見つけ出して処罰することだから、法令の目的に関係なく悪法が次々と制定される。

独裁政権では、事故の統計は加害者としての危険性と被害者としての危険性を区別せず、

法令の目的も配慮せずに、何でも法令違反はすべて奴隷としての命令服従性の欠損として厳しく取り締る。

 

しかし、民主主義では、考え方が違う。

民主主義の考え方では、人は、基本的人権として、

周りに迷惑がかからない範囲内で最大限の自由を保証される。

民主主義では「悪」の定義とは「周りに迷惑をかけること」だ。

民主主義では、国民の命は、原則として国民に帰属する。

だから、民主主義では、国民は周りに迷惑がかからない範囲内で危険を冒す自由も、命を自らの意思決定に従って利用する権利も容認される。

だから、民主主義では、自損事故や自殺を、あまり悪と見做さず、あまり取り締らない。

民主主義では、取り締るべきは周りに迷惑がかかる行為だ。

だから、民主主義では、加害者としての危険性は厳しく取り締るが、被害者としての危険性は、あまり取り締らない。

民主主義では、事故の統計は加害者としての危険性と被害者としての危険性を峻別する。

 

警察の取り締まり一つ見ても、

日本政府が国民の弾圧を目的とした政権、すなわち完全な独裁政権であることは明瞭である。

 

(軽トラ無免許運転で事故、高校生逮捕 沖縄|日テレNEWS24

 https://www.news24.jp/articles/2021/09/18/07941767.html

この事故の問題点は、加害者が未成年だった点にあるのではない。

「無免許だった加害者に、自動車を貸与した犯罪者が居る」という点が問題なのだ。

自動車の所有者が、管理責任を問われて、厳しく処罰されるべきだ。 

車が橋脚に衝突し高齢男性が死亡 認知症のような症状も

 https://www3.nhk.or.jp/lnews/osaka/20210913/2000051235.html

この事故の問題点は、加害者が病気だった点にあるのではない。

「無免許だった加害者に、自動車を貸与した犯罪者が居る」という点が問題なのだ。

無免許で簡単に自動車を借りたり所有できたりするのならば、免許制度に意味がない。

自動車の所有者が、厳しく処罰されるべきだ。)

重大事故で「アクセルの異常」といった言い逃れが多発するのなら、

車にアクセルの異常があったかどうか検証する機器を標準装備させるように、

法律で義務付けるべきです。

「車の故障なのか、運転手の業務上過失なのか、立証できないから、双方とも免責」と

いった状況が容認され続けていては、殺人を防げません。

道路交通法を無視して”Just in Time”や「カンバン方式」を実現する運転手は、運転不適格です。

「仕事の為なら法律を踏みにじってもよい」と考える労働者に免許を与えてはなりません。

あおり運転は、事故ではありません、犯罪です。

あおり運転は、その運転手の犯罪性向が表面化しただけの現象です。

あおり運転をするような者は、自動車を使って犯罪を犯さずとも、他で犯罪を犯すでしょう。

犯罪者に運転免許を与えてはなりません。

本来なら、犯罪に自動車賠償保険の適用はできません。

自動車の皆保険は、交通事故の加害者を救済して犯罪の賠償を免責させて、

自動車を利用した未必の故意運転を横行させるために作られたのではありません。

犯罪の賠償を保険で賄えば、犯罪が犯罪加害者に経済的損失を与えないため、金銭的モラルハザードが起きます。

犯罪の経済的抑止力に必要なのは、犯罪者の資産を的確に収奪する行政支援です。

自動車の皆保険は、交通事故の被害者に必ず賠償が為されるために設けられた制度です。

悪質な運転の前科がある者に対しては、

金銭的に事実上、運転が不可能なように保険料(経済的な業務上犯罪の抑止)を引き上げねばなりません。

そのような自動車の皆保険の理由を鑑みれば、自動車の皆保険の保険料には、

積極的に格差を導入すべきです。

保険は悪平等の保険料によって、保険を介した強盗行為を推奨するためにあるのではありません。

交通違反の前科や国籍、所有者などと、保険支払い実績の相関関係を分析し、

皆保険の保険料には、受益者負担の原則が貫かれるように、積極的に巨大な格差を設けるべきです。

無論、無保険の自動車の運転は、殺人未遂罪として、無期懲役刑に処すべきです。

(健康保険の皆保険も、悪平等の保険料によって、

保険を介した強盗行為を推奨するためにあるのではありません。

健康悪化は、しばしば、遅延して発症する労働災害です。

皆保険制度下では、労働災害の多発する職種の報酬とは、

高額な健康保険料を差し引いた残額が、正味の報酬です。

職種前歴や国籍、居住地域前歴などと、保険支払い実績の相関関係を分析し、

皆保険の保険料には、受益者負担の原則が貫かれるように、積極的に巨大な格差を設けるべきです。)

また、ナンバーによって車両の特定には至っても、所有者が運転者の申告に非協力的なために、

違法運転の運転手を特定できずに、犯罪の処罰が困難な場合があります。

自動車は、時には殺人に至る危険な凶器ですから、

運転手の特定すらできないような杜撰な自動車の管理を行っている車両の所有者からは、

運転免許などを剥奪して、車両を保有する権利を剥奪すべきです。

 

NumberData(ナンバーデータ)

https://ja.numberdata.com/

 

人気漫画「頭文字D」のドラテクはホントにできるか? “プロ”の意外な答え

https://dot.asahi.com/dot/2015122600015.html

 

 

自転車で国道逆走(2022/8/221510分頃)

さらにトラックの前に乗り捨てる…男を「あおり運転」容疑で逮捕

読売新聞2022/09/06 10:34

https://www.yomiuri.co.jp/national/20220906-OYT1T50064/

片側3車線の国道41号を『逆走』…車行き交う道路の真ん中に自転車放置し逃走か

“妨害運転容疑”で54歳男逮捕

東海テレビ2022/09/05 20:59配信

https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20220905_21533

逮捕されたのは名古屋市中村区の無職 井ノ口秀信容疑者(54)。

「なんでおれが捕まらないといけないんだ」 大声で叫びながら警察署へ。

(「国道41号」とは、同一日の午前1020頃に名古屋高速バス横転事故が起きた高速道路の下道

 https://www.chunichi.co.jp/article/535987

確かに、道路交通法は、自動車の都合ばかり優先し過ぎていて、

厳密には憲法には反するとは、思うけれど

・・・かと言っても、現実には自転車と自動車が事故を起こせば、

痛い目に遭うのは、大抵は自転車…。

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